絵画
2018年06月20日
映画「天才贋作画家」をみた ・・芸術は模倣から
久しぶりにテレビで映画を観た、
「The Forger」(邦題:天才贋作画家 最後のミッション)
久しぶりのジョン・トラヴォルタ主演で、
親子三大が挑む名画強奪計画、
ベタベタした情愛を描くわけでなく、
だが確かにしみじみ感じさせるなかなかの佳作であった、
贋作といえば、その昔 「永仁の壺」がある、
これは「自らの技術の誇示を含め、
習作として古い作品を模倣し、
いわゆる「写し」として加藤唐九郎が作った瓶子である・・」と
ある人は言っているが、
こうした作品は過去も現在も、あらゆる芸術分野で行われていて、
「芸術は模倣から」と言う人もいる、
それもそうだが、画家の歴史を紐解いても、
XX派などと片づけられない部分がある、
徐々に画風が変わり、他の画家からも影響を受け、
次のxx派へと移行する、
印象派から後期印象派・・などといって・・・、
いわゆる「模倣」があり、広義に解釈すればそういうことになる、
従って、音楽、絵画など「前を歩いた人がいて」今がある、
そんな感じだと私は思う、
中村なんとか・・というノーベル賞を受賞した人だって、
一人でLEDを発見・発明したのではなく、
前任者の研究結果があって、初めてなせる業であって、
IT社会で研究している人達も、
「これをこう改良したら?」の積み重ねであろうと思う、
これをこう改良して・・の時点から、
全く新しいものに発想を飛ばせる人、この人は天才だと思う。
奇想天外な終わり方をしたこの映画は楽しかった。
2013年10月16日
芸術は模倣から始まる・・・ 論文の引用は・・・
点描、印象、から ソレを越え・・・一点を強調・・・
宗教上の音楽から、舞踏会での音楽、ポップス、フュージョン・・・
徐々に互いに影響を受け・・・ やがて 「独自」と思われる絵画画法や作曲法にと、 変化し、つぎの芸術家への肥やしになっていく、 論文でも同じことが言えそうだ、 誰かの論文を引用しての研究論文であって、 「引用」を思い起こせば、うなずける、 二三年前、世界の中での、最多引用論文を発表したのは、 たしか・・・日本人学者であったが、 引用したからそれは「独自の論文ではない」とするのは早計で、 それを選択し、引用すること自体に、 既にその人の論・考えが入っているのである、 その昔 私が論文の書き方指導を受けていた時、 教授はまず引用した文を床に並べて見よ・・と言われた、 それ自体が 私が学んだり、主張したいと思ったり・・・ あるいは反論したいと考えたり・・・の内容で、 それらが私の考えなのだと、そういった、 後はその肉づけに、自分の意見をfor, against にして、 文を構成していく・・そして論文に書き上げるというもの・・・ そういえば、偉くなった作家や画家のもとには、 多くの弟子がいて・・・彼らが「代行」する場合もある、 最後にお墨付きの印をいただければ、 それは師の作品と言うことになり、世にでる、 そういうことなんですね、 「創造」するということは、さほどに むずかしいことのようだ!
独自の論文を発表したと言っても、
(注)上記写真は(独)理化学研究所 植物科学研究センター長 篠崎一雄氏