誕生日
2022年12月04日
「誕生日」を祝う気持ちは・・・
「誰のために?」
誰のために喜ぶのか?
どうして嬉しいのか?
それはいつも誰かの誕生日が来るとそう思う、
この日に生まれた本人がうれしいのか?
それもあろう・・・、
だが私自身は毎回このように思う、
♪ あなたが生まれてくれてよかった、
あなたにこうして会えてよかった ♪ ・・・と、
だから 誕生日は・・祝う気持ちは「自分」に向けられたものだ・・と、
海外では友人たちが、70歳を境にして、互いの贈り物を割愛する、
祝いの言葉だけで充分だ‥と思い、物に執着するのをやめるようだ、
黄泉の国へは 所詮 モノを持ってはいけないから・・・ね、
私は物がない時代の子供であったので、
ずいぶん長い間、「誕生日」を意識してこなかった、
おめでとう・・と言って祝ってくれた人もいたが、
豪州の友人はいつも、真夜中が過ぎると、
お盆にシャンパンと何かつまみを添え、「おめでとう」と言って来て、
ただそれだけだが・・・、コノ日の祝い客ナンバーワンを名乗っていた、
SSや姉などは祝日と重なり、だからコノ日を一緒に祝い会食を・・などとは、
洒落たことができず、いつの頃からか、
いつでもコノ月の何日かに みんなが都合がつけば・・と、
会食日を決めていた、
もう「うしろ」ばかりあって、「まえ」がほんのわずかなんだから、
充分だよねえ。」
2022年11月12日
また来年もあなたの誕生日を祝いたい!
「No birthday Luncheon」
友人SSさんの誕生日は11月3日であったのだが、
この日は祝日で、美容師の彼女は、
いままでに誕生日らしい祝いをしてもらったことがない、
私と友人になってはや40数年、
この日に祝ったことは一度しかない、
ある年、その日に私は海外から帰国した日で、
迎えに来てくれた彼女が、逆に日本食で祝ってくれた、
海外では、 70歳を超える頃から、親族の中で暗黙の裡に、
「もう祝いの日としては祝わないように・・・」と口裏を合わせる、
ただ 口でお祝いを言い、それでチャンチャン、
誰かの本の題名で「xx歳、何がめでたい?」というようなものがあったが、
姉も良く言うが、長生きして 何かいいことがあったか・・ということだ、
だが 豪州の友人は、100歳まで生きて、エリザベス女王から、
祝電を受けたい‥そうよく言っていた、
だが本当は、どのように世の中が変わっていくか、
見てみたい‥そう言っていたのだ、
こんなに世の中が猛烈な速さで変わっていくと、
少し瞬く間に、浦島太郎でさえも驚くだろう、
突然に戦争を始めり人もいれば、
いつなんどき ミサイルをポコポコ飛ばすアンポンもいたりして・・、
明日何が起きるのか、皆目 見通しがたたない、
幸い レッドウェーブの大きな波が起きなかったが、
トランプだったら、何をしでかすやら 恐ろしい感じがする、
また来年も、大好きな人たちの誕生日を喜びたい。
2022年01月12日
忘れ物を探す時間はたっぷりあるのだが・・ 誕生日は?
「あなたにとって・・・」友人の誕生日とは・・
子供の頃はみんなで誕生日を祝ってあげるんだが、
豪州では友人たちは「70を超えたらもう…」と言って、
言葉で「おめでとう」というくらいで、贈り物まではしない、
だが 大切な友人たちの誕生日は、
その人の大切な日なので、祝ってあげるとともに、
私にとってもむしろ「生まれてきてくれて、あなたに会えて・・」という、
そんな幸運に感謝をして、自分への Good luck 運命にも祝ってあげたい、
そんな気持ちになるものだ、
だが 昨年は ちょっと違っていた、
大切な・・命の恩人の誕生日までも失念し、6月のエコー、12月のMRIも忘れ・・
とにかく 姉に振り回された感じの年であった、
忙しすぎて、色々忘れてしまうのは、必ずしも悪くないが・・・、
その内 自分すら忘れ、周りの親しい人にさえ「あんた誰?」っていいだしたら、
Ooooops! タイヘンだ、
最近そういえば探し物に時間が費やされることが多くなった、
亡母もそういえば晩年はよく探し物に時間を使っていた、
私はそんな母に、「大丈夫だよ、母さんは毎日日曜日なんだから・・・
時間はたっぷりあるから、急がず・・ゆっくりさがせばいいよ・・」
そう言ってあげていた、
母はその内、探すのをあきらめ‥そのうち何を探すのだったか忘れ・・、
偶然出てきても、ごく自然に出てきたように使い始め、
結局、探していたこと自体を忘れ・・・、世の中は平和に過ぎて行った、
私が心に残る「探し物」は、時計が一つ、宝飾品が三つ・・・まだまだあるが、
生活には支障がないようで、それならそれでいい・・と放念することに努めている、
あなたを探し始めたら、腹を立てずに、根気に言ってね、
あなたの存在を!
2021年12月06日
あなたが生まれてくれて…「感謝」」
「Happy Birthday!」
今日は友人の誕生日、
彼女にとって記念すべき70回目の誕生日、
いつも思うのだけれど、誕生日は本人だけでなく、
「その人が生まれてくれて、会えて・・こうしてこの日を祝えることが、
嬉しいと思える、そんな人たちにとっても」
嬉しくもあり、こうして会えたことへの感謝の気持ちを表す大事な日、
私の豪州の友人は、いつもその日の前夜に、シャンパンと、ちょっとしたつまみを用意し、
12時が過ぎると、それらを持ってきてくれ、真っ先に・・・
「Happy birthday to you!」と言って祝ってくれた、
私は何をもらうより、その祝ってくれるささやかな祝宴がうれしかった、
その中には 「本当にあなたに会えてよかった」と、
そう思って、この日を共に共有してくれていた、
今 私の誕生日を祝ってくれる友はごくごく少ない、
そりゃあ そうだ、 私がもうあの世へ逝く歳なんだもんねえ、
豪州の多くの友人・知人たちは、70を超えると、
誰言うともなく、祝いの宴をわざわざ設けないし、贈り物もしない、
あの頃から 平均寿命も延びているから、75歳くらいかなあ、
もう祝ったり、贈り物をしなくてもよいかもねえ、
断捨離の品数を増やす必要がないものねえ、
とにかく、この世に生まれた瞬間から、「死」に近づき、
神仏に「試練にどれだけ耐えられるか」という課題をもらい、
とにかく 耐え・・・生きて・・・
その間に 多くの人に会い、勇気や愛をもらい、生き続け・・・
今がある、
あなたが生まれてくれてよかった、
誕生日おめでとう!
2021年09月15日
♪ Happy birthday ♪ 姉の誕生日 米寿!!
「敬老の日」
その昔は、全国的に9月15日であったが、
我が家的には姉の誕生日、つまり第一子の誕生日、
僻んではいけないが、姉は第一子・・ということで、そりゃあ~・・
大事にされた、親族の人たちもことあるごとに、集まった先で・・
そのことをいつも話していた、「そりゃあ・・大事にされていたからねえ~」と、
毎年のように、写真館へ連れて行ってもらい、両親と写真を撮ってもらっていた、
私にはそのような写真は一枚もない、
石原慎太郎家でもそうであるようだが、第一子は「宝」であって、
その他は「もろもろ」であったようだ、
着るものはいつもお下がりで・・・、唯一 真新しいものが着れるのは、
「運動会」だけであった、
それは、私が徒競走、クラスリレー、地区リレーほか、ほとんどの競争で、
いつも賞品の学用品を取ってくるので、親も鼻が高く、
私には新しいものを買ってくれていた、
教科書はいつもご近所からの古いもので、落書きばかり書きこまれており、
私には屈辱であり、やがて・・教科書を持って行かなくなった、
中学になるとボツボツ、セーラー服を着てくる人がいたが、
私は修学旅行へ行く前、職員室によばれ、
その時はセーラー服を着てくるように言われた、
我が家の姫(長女)は、そんな屈辱を味わったことがないであろうが、
私はいつも叱られるか・・・、足袋を破る・・といって愚痴られていた、
私は「愛情の温かさ」を感じず育ったのであろうか?!
歳を重ねるごとに、人恋しい、愛情のようなものを感じたい、
そう思うようになった、
昨今、敬老の日が、地区ごとにいろいろな週末に行われる、
こうも年寄りだらけになると、もうこんな日はいらないねえ、
いつも毎日‥誰でも大事にすればいいだけなんだから・・・。